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東京地方裁判所 昭和46年(行ウ)197号 判決

東京都品川区西中延三丁目一五番八号

原告

島田操

右訴訟代理人弁護士

猿谷明

東京都品川区中延一丁目一番五号

被告

荏原税務署長

右指定代理人

伴義聖

松井伸一

佐伯秀之

須田光信

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者が認めた裁判

一、原告

被告が昭和四四年七月三〇日付で原告の昭和四〇年分所得税についてした決定並びに昭和四一年分及び昭和四二年分所得税についてした各更正及び各過少申告加算税の賦課決定(ただし、いずれも被告が原告の異議申立てについて昭和四四年一一月二九日付でした決定及び国税不服審判所長が原告の審査請求について昭和四六年六月二一日付でした裁決によつて取り消された部分を除く。)を取り消す旨の判決

二、被告

主文第一項と同旨の判決

第二、主張

一、原告の請求の原因

1. 処分の経緯等

原告は、飲食業(バー「けい」及び「ふじ」)を経営する者であるが、昭和四〇年分所得税については確定申告をせず、昭和四一年分及び昭和四二年分所得税について確定申告をしたところ、被告は、昭和四四年七月三〇日付で、昭和四〇年分所得税について決定及び重加算税賦課決定を、昭和四一年分及び昭和四二年分所得税について各更正並びに各過少申告加算税賦課決定及び重加算税賦課決定をした(被告がした以上の処分を合せて「原処分」という。)。これに対する原告の異議申立て及び審査請求について、被告及び国税不服審判所長は、それぞれ原処分の一部を取り消す等の異議についての決定及び審査請求についての裁決をした。以上の確定申告及び各処分の経緯は、別表記載のとおりである。

2. 処分の違法性

原処分は、いずれも、被告の職員が次のとおり違法に質問検査権を行使することによつて入手した資料に基づいて、推計してされたものであるから、違法である。

すなわち、被告所属の大蔵事務官小坂善三は、昭和四二年一〇月三日午前一〇時ころ、原告の使用人である岡田二郎の下宿を訪れ、バー「けい」にかかる所得税調査をする旨言明した。これに対し、岡田は、「自分は、バー「けい」の経営者ではない。経営者は原告である。」旨述べ、「原告が旅行中だから、後日にしてもらいたい。」と懇請した。しかし、小坂は、これに応じないで、室内の机上に帳簿書類が置いてあるのを認めるや、岡田の承諾もないのに座敷にあがり込み、「協力すれば五パーセントですませるが、そうでなければ三五パーセント課税する。」とすこぶる高圧的脅迫的な発言をし、岡田が再三「その帳簿書類は原告のものだから、原告不在の今は検査に応じられない。」と拒否したにもかかわらず、右帳簿書類のうちバー「けい」及びバー「ふじ」関係の仕入帳等一〇冊以上を持ち去つた。

このようにしてされた質問検査権の行使は、次のとおり違法である。

(一)  右のとおり、岡田は小坂に対し、当初からバー「けい」の経営者は自分ではなく、原告である旨明言していた。また、後記の被告の主張によつても、小坂が岡田方にあつた帳簿書類のうちの大学ノートの表紙の記載を見て、岡田に釈明を求めたところ、岡田は、バー「けい」の経営者は原告である旨述べたというのである。したがつて、小坂は、バー「けい」の経営者が岡田ではなく、原告であるかもしれないという合理的疑いを持つのが当然であり、バー「けい」の真の経営者、すなわち、その所得の帰属者が誰かを確認しなければ、質問検査権の行使の対象者である納税義務者又は納税義務があると認められる者が確定せず、適法な調査の続行を期し難いから、これを確認するため、当日の調査は中止するべきであつた。しかるに、小坂は、その後も調査を続行したのであるから、以後の調査は、質問検査権行使の対象者を誤つた違法がある。

(二)  前記のとおり、小坂は、岡田方にあつたバー「けい」及びバー「ふじ」関係の帳簿書類を、その所有者である原告及びバー「ふじ」の経営名義人である島田よし江の承諾はもちろん、右帳簿書類の所持者である岡田の承諾も得ないで持ち去つた。仮に、被告主張のように、岡田が小坂に対し帳簿書類の貸出しについて承諾を与えたとしても、岡田は原告からそのような帳簿貸出しの権限を与えられていないのみならず、その承諾は、岡田が小坂の前記のような高圧的脅迫的発言によつて自由な判断力を失つた結果である。このように、小坂が右帳簿書類を持ち去つたのは、強制的な措置であつて、質問検査権の行使として許される範囲を逸脱した違法がある。

二、被告の答弁及び主張

1. 原告の請求の原因1記載の事実は認める。

同2記載の事実中、被告が小坂の岡田に対する質問検査権の行使により入手した資料を用いて原処分をしたこと、小坂が昭和四二年一〇月三日午前一〇時ころバー「けい」にかかる所得税調査のため岡田方を訪れ、岡田にその旨告げたこと、調査の過程で岡田が、バー「けい」の経営者は自分ではなく、原告である旨述べたこと、岡田がいつたんは、帳簿書類は自分のものではないからといつてその提示及び貸与を拒んだこと、小坂が岡田方にあつた帳簿書類を持ち帰つたこと、小坂が右帳簿書類を持ち帰るについて原告および島田よし江の承諾を得なかつたこと並びに右帳簿書類の中には、バー「けい」関係のもののほか、バー「ふじ」関係のものも含まれていたことは認めるが、その余の事実は争う。

2. 本件質問検査権の行使は次のようにして行なわれた。

岡田二郎は、東京都新宿区歌舞伎町一三番地のバー「けい」を経営しているとして、昭和四〇年分及び昭和四一年分の事業所得について所得税確定申告書を提出したが、被告は、バー「けい」の立地条件等に照らし過少申告の疑いがあつたので、大蔵事務官小坂善三に対し岡田の調査を指示した。

そこで、小坂は、昭和四二年一〇月三日午前一〇時ころ岡田方を訪ね、所得税調査のため臨戸した旨を告げ、岡田の承諾を得て部屋に入り、バー「けい」の経営の概況等を聴取することから調査を始めた。

原告は、岡田が小坂の調査の当初からバー「けい」の経営者は原告であると明言し、原告が不在であるから調査は後日にしてもらいたいと懇請した旨主張するが、そのような事実はなく、岡田は、開業資金の調達の経緯、事業概況等の聴取に応じていた。

その際、岡田の部屋の机の上と下に相当量の帳簿書類と認められるものが積み重ねられてあつたので、小坂は、岡田に対し右書類の提示を求めたところ、岡田は、いつたんは、自分のものではないから見せられないという趣旨のことを述べた。しかし、小坂は、右書類がバー「けい」の事業に関する帳簿であると判断し、調査上必要がある旨をよく説明して岡田を説得したところ、岡田は納得し、任意にこれを提示した。

そして、小坂は、右書類中の大学ノートの表紙に「売上帳、けい、島田」と記載されていたので、岡田に対し右「島田」の意味につき釈明を求めたところ、岡田は、初めて、バー「けい」の経営者は原告であり、右帳簿書類も原告のものである旨述べた。しかし、小坂は、岡田の右供述をにわかに信用することができなかつたので、右帳簿書類はバー「けい」の裏帳簿であると判断した。

そこで、小坂は、右帳簿書類の検査に着手したが、その量が多く、当日その場で検査を完了することが困難であり、日を置けば、右帳簿書類が隠匿ないし破棄されるおそれがあると判断されたので、岡田に対し右帳簿書類の一部を信用したい旨申し入れた。これに対し、岡田は、いつたんは、右帳簿書類は原告のものであるとしてこれを貸すことを拒んだが、結局、小坂の説得に応じてその貸与を承諾した。

原告は、岡田は小坂の高圧的脅迫的な発言によつて自由な判断力を失つた結果右承諾を与えたものである旨主張する。しかし、小坂が原告主張のような発言をしたことはない。小坂は、ただ、仮装若しくは隠ぺいに基づき過少申告をした場合には、税率三〇パーセントの重加算税が課せられ、仮装若しくは隠ぺいの事実がなく、過少申告をした場合には、税率五パーセントの過少申告加算税が課せられる旨、税法の規定の説明をしたにすぎない。また、高等教育を受けた後一三年を経過し、長らく客商売に従事し、社会生活も十分経験しているとみられる三一才前後の岡田が、税務署職員としての経験の浅い二一才前後の小坂と応対して、自由な判断力を失うような状態になるとはとうてい考えられない。

そして、岡田は、島田よし江を経営名義人とするバー「ふじ」関係の帳簿書類も、バー「けい」関係の帳簿書類といつしよに何ら区別せずに保管していたので、小坂は、バー「ふじ」は岡田と島田よし江の共同経営であつて、岡田の所得に何らかの関連があるのではないかという疑念を持ち、岡田の真実の所得を把握する資料とする目的で、バー「ふじ」関係の帳簿書類もバー「けい」関係の帳簿書類とともに借用した。

このようにして行なわれた本件質問検査権の行使に、原告主張のような違法はない。

(一)  原告は、小坂が行なつた調査は、質問検査権の行使の対象者を誤つた違法があると主張する。

しかし、前記のとおり、岡田は、バー「けい」にかかる事業所得について確定申告書を提出し、バー「けい」関係の帳簿書類を保管していたうえ、小坂に対し開業資金の調達の経緯、事業概況等の聴取にも応じていた。そして、岡田がバー「けい」の経営者は自分ではなく、原告である旨述べたとしても、調査担当者としては、それをにわかに信用するのは適当でなく、むしろ、その真否を確認しなければならず、そのためには、岡田に対し質問し、その保管する帳簿書類を検査する必要があつた。したがつて、小坂が、当日の調査において岡田を所得税法第二三四条第一項第一号に規定する納税義務があると認められる者として、調査を続行したことに何ら違法はない。

(二)  また、原告は、小坂が帳簿書類を持ち帰つたのは強制的な措置であり、質問検査権の行使として許される範囲を逸脱した違法があると主張する。

しかし、前記のとおり、小坂は、岡田がバー「けい」にかかる事業所得の帰属者であり、納税義務者であるとの認識のもとに当日の調査を行ない、岡田の承諾を得て帳簿書類を借用したのであるから、強制的な措置ではなく、原告及び島田よし江の承諾を得なかつたことに何ら違法はない。

3. 原告は、質問検査権の行使の違法を理由として原処分は取り消されるべきである旨主張する。

しかし、質問検査権が社会通念上相当の限度をこえて行使され、しかも、右質問検査権行使による調査のみに基づいて処分がされた場合には、右処分は、質問検査権の行使が濫用にわたつた故をもつて取り消されることもありえようが、質問検査権の行使に当たつての単なる瑕疵は、処分の適法性に何らの影響をも及ぼすものではないと解すべきである。

第三、証拠関係

一、原告

1. 援用した証言

証人小坂善三及び同岡田二郎の各証言

2. 乙号証の成立についての認否

いずれも認める。

二、被告

1  提出した書証

乙第一号証から第四号証までの各一、二及び第五、第六号証

2. 援用した証言

証人小坂善三の証言

理由

一、処分の経緯等

原告の請求の原因1記載の事実は、当事者間に争いがない。

二、質問検査権行使の経過

成立に争いのない乙第三、第四号証の各一、二並びに証人小坂善三の証言によれば、岡田二郎は、東京都新宿区歌舞伎町一三番地のバー「けい」の経営者であるとして、昭和四〇年分及び昭和四一年分の事業所得について所得税確定申告書を提出していたが、被告は、バー「けい」の立地条件等に照らし、岡田の申告にかかる収入金額が過少である疑いがあつたので、大蔵事務官小坂善三に対し調査するよう指示したことが認められる。

そこで、小坂は、昭和四二年一〇月三日午前一〇時ころ所得税調査のため岡田方を訪ね、岡田にその旨告げたうえ、質問検査権を行使して調査をした(以上のことは当事者間に争いがない。)が、前示証人小坂の証言及び証人岡田二郎の証言(ただし、後記信用しない部分を除く。)によれば、当日の調査は、次のように行なわれたことが認められる。

小坂は、岡田の承諾を得て岡田の居室内に入り、バー「けい」の開業資金調達の経緯、営業の概況等を聴取することから調査を始めたところ、岡田は、バー「けい」を友人から代金三〇万円くらいで譲り受け、毎月一万円ずつその友人に送金していると述べ、また、バー「けい」の店内の状況、ホステスの人数等について説明した。

小坂は、岡田の居室内の机の上下等に相当量の帳簿書類と見られるものが置いてあるのを認め、岡田に対しその提示を求めた。これに対し、岡田は、当初は、右書類は他人から預つて記帳しているものであるとか、未整埋であるとか言つて応じなかつた(岡田が右書類の提示をいつたんは拒んだことは当事者間に争いがない。)が、小坂が説得したところ、これに応じ、右書類を提示した。小坂は、右書類中の大学ノートの表紙に「けい、島田」と記載されていたので、岡田に対し右「島田」の意味について説明を求めたところ、岡田は、バー「けい」の経営者は自分ではなく、島田である旨述べた。

そして、小坂は、岡田が提示した帳簿書類の検査を始めたが、その量が多く、当日その場で検査を完了することが困難であつたうえ、日を置けば、右帳簿書類が隠匿若しくは破棄されるおそれもあると考えられたので、岡田に対し右帳簿書類を借用したい旨申し入れた。これに対し、岡田は、初めは、右帳簿書類は島田のものであるからとして拒絶した(岡田がいつたんは右帳簿書類の貸与を拒絶したことは当事者間に争いがない。)が、結局、小坂の説得に応じて右帳簿書類の貸与を承諾した。そこで、小坂は、右帳簿書類のうち数冊を選んで持ち帰つたが、その中には、バー「けい」関係のもののほか、バー「ふじ」関係のものも含まれていた(このことは当事者間に争いがない。)。

当日の調査は以上のように行なわれた。

原告は、岡田は、小坂が訪れた当初からバー「けい」の経営者は自分ではなく、原告である旨述べ、当日は原告が不在だから調査は後日にしてもらいたい旨懇請したにもかかわらず、小坂は岡田の承諾も得ないで岡田の座敷にあがり込んだ旨主張し、前示証人岡田の証言中には、これにそうような部分があるが、右は前示証人小坂の証言に照らし信用することができない。

三、質問検査権行使の適否

1. 原告は、小坂が行なつた調査は、質問検査権行使の対象者を誤つたものである旨主張する。

しかしながら、岡田は、バー「けい」にかかる事業所得について所得税確定申告書を提出し、小坂に対しバー「けい」の開業の経緯、営業の概況等について説明し、バー「けい」関係の帳簿書類を所持していたことは、右に認定したとおりである。このような事情のもとで、岡田が提示した帳簿書類の中に、「けい、島田」と表紙に記載された大学ノートがあり、岡田が、バー「けい」の経営者は自分ではなく島田である旨述べたとしても、それだけで直ちに岡田の言を真実と認めるのが相当であるとはとうていいえないから、小坂が、岡田をバー「けい」にかかる事業所得の帰属者であり、したがつて、納税義務がある者に当たると認めて、岡田に対し質問し、岡田が提示した帳簿書類を検査するなどの調査を続行したことは相当であり、右調査に質問検査権行使の対象者を誤つた違法があるとは認められない。

2. また、原告は、小坂が帳簿書類を持ち帰つたのは、強制的な措置であり、質問検査権の行使として許された範囲を逸脱したものである旨主張する。

しかしながら、小坂は、帳簿書類を持ち帰るについて、岡田の承諾を得たことは、前に認定したとおりであるから、これが強制的な措置である旨の原告の主張は失当である。小坂が右帳簿書類を持ち帰るについて、原告及び島田よし江の承諾を得ていないことは当事者間に争いがないが、証人岡田の証言及び弁論の全趣旨によれば、岡田は、原告の使用人として、原告の指示に基づき、原告経営のバー「けい」及び「ふじ」の帳簿書類を保管し、記帳を担当していたことが明らかであるから、小坂が、右帳簿書類の保管者である岡田の承諾を得た以上、岡田が原告からそのような承諾の権限を与えられていたかどうかにかかわりなく、小坂の右帳簿等の持帰りが違法な措置であるということはできない。

原告は、岡田が右承諾を与えたのは、小坂の高圧的脅迫的な発言によつて自由な判断力を失つた結果であると主張する。そして、前示証人岡田の証言によれば、小坂は、岡田が帳簿書類の貸与方の申入れを拒絶したところ、調査を拒否すれば、五パーセントの過少申告加算税に代えて三〇ないし三五パーセントの重加算税が課せられるという趣旨のことを言つたというのである。しかしながら、前認定の当日の調査の経過、並びに、証人岡田及び同小坂の各証言により認められるように、岡田は当時三二才で、高校卒業後一三年余を経過し、十分に社会生活を経験していたのに対し、小坂は当時二二才で、税務署職員としての経験は二年余にすぎなかつたことに照らし、仮に、小坂がそのような趣旨のことを言つたとしても、それが岡田の自由な判断力を奪うほどの高圧的脅迫的な言辞であつたとは、とうてい考えられない。他に小坂が岡田に対し高圧的脅迫的な発言をしたと認めるに足りる証拠はない。

したがつて、小坂が帳簿書類を持ち帰つたのが質問検査権は行使として許された範囲を逸脱したものである旨の原告の主張も理由がない。

四、結論

そうすると、その余の点について判断を加えるまでもなく、原告の請求は理由がないことが明らかであるから、これを棄却し、訴訟費用は敗訴の原告の負担として、主文のとおり判決する。

(裁判所裁判官 杉山克彦 裁判官 吉川正昭 裁判官 青山正明)

別表

昭和四〇年分

〈省略〉

昭和四一年分

〈省略〉

昭和四二年分

〈省略〉

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